ナカ NAKAMI

推しへの気持ちは恋なのか — パラソーシャル関係という考え方

会ったことのない相手を本気で大切に思う。この関係には70年以上前から名前がついていて、研究上は異常でも未熟でもないとされています。

推し活タイプ診断

推しの話をすると、ときどきこう聞かれます。「それって恋愛感情なの?」。あるいは自分でも、これは何という気持ちなんだろうと考えることがあります。

この関係には、実は古くから名前があります。パラソーシャル関係(parasocial relationship) です。

1956年につけられた名前

社会学者のホートンとウォールが1956年に提唱した概念で、もともとはテレビやラジオの視聴者が、画面の向こうの人物に対して抱く一方向の親密さを指していました。相手はこちらを知らないのに、こちらは相手の話し方の癖も、機嫌の良し悪しも知っている。関係の情報量が、極端に片側に寄っている状態です。

当時はテレビの話でしたが、SNSと配信が当たり前になった現在、この関係はむしろ標準的になりました。毎日更新があり、生活の断片が流れてきて、こちらのコメントにごくまれに返事が来る。片側に寄ってはいますが、完全な一方通行でもないという点が昔と違います。

「本物の関係ではない」わけではない

この分野の研究で繰り返し確認されているのは、パラソーシャル関係が現実の人間関係と同じ心理的な仕組みを使っているということです。相手の性格を推測し、次の行動を予想し、離れると寂しさを感じる。脳の側から見ると、隣の席の同僚を理解しようとするときと、そう変わりません。

そして、近年の研究では支え(ソーシャルサポート)として機能していることが報告されています。孤独な人が現実の関係の代わりに使って悪化する、という単純な図式ではなく、現実の人間関係が豊かな人ほどパラソーシャル関係も豊かに持つ、という結果のほうが多く出ています。

つまり、推しを大切に思うことは、社会性の欠如ではありません。社会性の使い道が一つ増えているだけです。

では、恋なのか

ここは正直に言うと、決着していません。恋愛感情と重なる部分(独占したくなる、他のファンが気になる)を持つ人もいれば、まったく重ならない人もいます。研究上も、パラソーシャル関係は一種類ではなく、友情に近いもの、憧れに近いもの、恋愛に近いものが混ざった連続体として扱われることが多くなっています。

役に立つのは、「恋かどうか」より「自分は何を差し出しているか」を見ることです。

  • 買うこと、支えること、売上に乗ることで返している人
  • 時間を使って追うこと、調べること、待つことで返している人

この違いは、気持ちの強さとは無関係です。そして同じ人が、相手が変わると差し出し方も変わります。差し出し方は相手ではなく、自分の側に属しています。

注意したほうがいい線は、一本だけ

パラソーシャル関係が問題になるのは、量が多いときではありません。相手が自分に応答する義務があると感じはじめたときです。

返信がないことに裏切られたと感じる、他のファンへの態度に傷つく、相手の私生活の選択に権利を主張する。ここまで来ると、関係の前提であるはずの「片側に寄っている」という事実が受け入れられなくなっています。

逆に言えば、そこさえ踏まなければ、何年続いても、いくら好きでも、この関係は健全なままです。推しに自分を知ってもらう必要はないという前提が保てているうちは、パラソーシャル関係はほぼ確実にこちらの生活を良くする側に働きます。

名前がつくと、扱いやすくなる

自分の気持ちに名前がないと、人は説明のつく既存の枠に押し込もうとします。恋だと思えば苦しくなるし、ただのファンだと思えば実感と合わない。

パラソーシャル関係という言葉の一番の効用は、恋でもただの消費でもない場所に、正式な席が用意されていることです。70年前から研究され、名前があり、大多数の人が経験している。そういう関係だと分かったうえで、自分がその中でどう振る舞うタイプなのかを見ておくと、長く気持ちよく続けられます。

出典: Horton & Wohl (1956) によるパラソーシャル関係の初出概念、およびその後のパラソーシャル関係と主観的幸福感に関する複数の実証研究。

推しへの気持ちは恋なのか — パラソーシャル関係という考え方 | ナカミ